仏教盛年会自分史を語る

(2019年3月開催の西恩寺仏教盛年会の問題提起より)

みなさん、こんばんわ。この度はこうしてお話をする機会を頂きまして誠にありがとうございます。

私は今、療養中の身です。現在までの過去約20年間に持病の良くなったり悪くなったりをくり返し、この病気そのものと、そのことによって起こってくる様々な出来事に悩まされ続けてきました。

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私は浄土真宗の僧侶になりたいと思い、決心して10年前に得度いたしました。

僧侶になりたいと思ったことにはきっかけがあります。

一時、病気の上に怪我もして働けなくなってしまいました。働けなくなったことでますます悩みが深まり苦しみました。私は自分を救ってくれるものをさがしました。

その時はじめて「歎異抄」を手にとりました。当時の私はわけわからずでしたが、それでもひとつ私の心を動かしてやまないお言葉がありました。

「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(中略)たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。」

この親鸞聖人のお言葉が、私にとって浄土真宗に帰依するたいせつな言葉となりました。この部分を読んで「この人がそんなにも言うのなら、自分もこの人を信じてみよう。」そう思ったのです。

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私の病気についてのお話しをします。

世間では病気が長びいたりすると「闘病中」とか「闘病生活」など「闘病」という言葉が使われますが、私はこの言葉が好きではありません。なぜかといいますと、病気は闘うものだと人々が無意識のうちに植えつけられ、そのうえかならず苦しくつらいものだとイメージづけさせられてしまっている言葉だと感じるからです。

一昨年の公開だったと思いますが、不治の病になった高校生の女の子とそのクラスメートの青年のことを描いた『君の膵臓を食べたい』という映画がありました。それを観て初めて『共病』という言葉を知りました。その言葉は浜辺美波さん演じる女の子の日記の表紙にありました。普通なら「闘病日記」なのですが『共病日記』とされていたのです。『共病』病と共にある。これは「闘病」の代わりとして使うのにわかりやすくて大変いい言葉だと思いました。物語ではその女の子が、たとえ余命を宣告された苦しい身であっても今をたいせつに明るく生きていこうとする姿が描かれていきます。

私はある時期から様々な事情からしばらく病院には行けていませんでした。再び病院に行こうと思ったきっかけは、症状がまただんだんと悪くなってきて耐えるのがしんどくなってきたからでした。これ以上放置はできない。もう一度自分の病気のことをちゃんと調べ直した上で、これからどうしていくか考えようと思いたち、なんとかして行った書店でたまたま手に取った本の内容も病院へ行く気持ちを後おししてくれるものでした。

その本は他の似た病気のことについて書かれたものでしたが、著者の先生の専門が私の病気で、内容の一部がそのことについて詳しく書かれていました。その部分を何度かくり返し読んでいるうちに、自分の病気はここに書かれているものに違いないと確信しました。そして少しでも今のつらい状況をよくするためには、とにかく早くはっきりさせて適切な治療を始めなければ何も始まらないと、さいわい近くにあった大きな病院に行くことにしたのです。

そして、そこで診断された結果はやはり思ったとおりのものでした。今も主治医をしてくださっている先生ですが、長年苦しんできた病気が何なのかやっとはっきりさせてくださいました。持病に対して適切な治療が始まったのは結局この時、わずか3年前の夏からです。たまたま書店でみつけたその本で知るまでは今まで通ってきたいくつかの病院で診断された病気だとばかり思いこんでいました。そのため治療がうまくいくはずがなく振り返ってみれば私のこの20年間は、心ならずも「病」と「その病によってひき起こされる苦しい現実」との闘いの20年となっていました。かつての私にこの病についてのちゃんとした知識があれば、こんなにも遠回りにならずもっと早く適切な治療を始めることが出来たと思います。

こうしたようなことでしたから、おかしいかもしれませんが病名がはっきりした時も、ひどくなって入院することになった時も、正直私はほっとしたんです。入院に至ったことはほんとうに悲しい出来事でしたが、それよりも、適切な治療によってやっと自分の人生がまっとうに進み始めるように思ったからです。

これは最近の話になりますが、叔父が父から私の病気のことを聞いて「そんな大変な病気だったんだなあ、よく知らなくて以前はつらくあたって本当に悪かったなあ。」と言ってくれていたそうです。このことを聞いた瞬間、なんとも言えない感情がおこって思わず涙がこぼれていました。ずっとまわりの人びとに大げさだと思われたり、本当に病気かどうか疑われたりしてきました。叔父さんの言葉で、そんなかつての悲しみ苦しみが、霧が晴れていくようにすーっと消えていくようでした。

私は映画の女の子のように余命を宣告されるような重篤な病気ではありません。しかし主治医の先生は、私の病気が治るかどうかははっきりとしたことが言えないとおっしゃいます。ずっとつきあっていくしかありません。だから私に『共病』という言葉が響いたのかもしれません。自分が病気になったことで病気の治療には、主治医や薬に頼るばかりでなく自分が治療の主役となって病気のことをちゃんと知り、病気としっかり向きあい、つきあっていく。そういう主体的な考え、気持ちを持つことがたいせつだということを知らされました。誰しも病気になったら完治させたくない人などいないですが、はたして病気とは闘わなければならないものなのでしょうか?

病気には、まだ治ってはいないけれど症状が出ない「寛解」(かんかい)という状態もあるそうです。

 

私が地元に帰ってきて聞法をしはじめた頃、こんな言葉をかけていただきました。「人のことはどうでもよい。まず自分の聞く姿勢を正しなさい。」思ってもみない言葉にショックを受け、しばらく考えこんでしまいました。

先生には私自身も気づいていない私の心が見えるのだろうか。不思議に思いましたが、それ以来、うまく言葉では言い表せませんが、私の中で何かが変わった気がしています。

そうしてしばらく聞法しておりましたが、その後また病気が悪化して聞法に出られなくなりました。その間は、良くなったらまた聞法させていただこう。それを励みにしておりました。私には聞法することによって自分の人生が開かれていくように思えたからです。

 

そしてまた聞法に出られるようになりました。仏法は求めたからといって必ず出遇えるものではないといいます。

「仏法をもっと知りたい」

「お同行(お念仏するおなかま)と語りあいたい」

そういう私の願いにこたえてくださるところがあるということはほんとうにありがたいことです。

今まで堪え難い苦しみがあった時期に「何故こんなに苦しいというのに阿弥陀さんは少しも助けてくれないのだろう。」と何度も心の中で思ったことがありました。しかし、ふりかえればいつどんなときも阿弥陀さんはずっとそばにいてくださいました。

私は、この10年ほどの間にたくさんたいせつなものを失いました。お坊さんになりたいなどと思わなかったら、あわなくてすんだ目も実際あります。けれども、もし真宗に出遇っていなかったらいったい自分はどうなっていただろう。と私は思います。

 

現在は病気のこともふくめ、まったく先が見えず不安なことだらけですが、教えに聞いていきたいと願っているところです。

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まとまりがなく話があちこちして申し訳ございません。どうかご容赦いただきたいと思います。

本日は拙い話をご静聴いただきましてまことにありがとうございました。

(鈴木昌宏さん)

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