(2015/05/28 熊田光男さん社員さんへのメール転写)
社員の皆様へ
私は、小さい頃から、「不器用」な部類に入ると思います。
クラスには、「ドラえもん」に出てくる、
「出木杉(できすぎ)君」のような生徒が
必ず一人はいたと思います。
成績優秀、スポーツ万能、そして、優しくて女子にモテる。
不器用な私は、そんな「出木杉君」にあこがれながら、生きてきました。
でも、「器用」というのは、本当に良いことだったのか?
「不器用」だから、頑張れたり、「不器用」にしか見えない世界もあったと、
今では思います。
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今の世の中、
“器用に生きてラクをしたい、器用に生きた方が得だ”
という風潮がまかり通っている。
これは、効率一点張りの経済的豊かさを求める人々が
いまだに多いのが一因であろう。
器用に生きるとは、
「何事も計算ずくで、才能を使い切ることなく、
“ほどほど”にうまく生きていく」
ことだ。
すると才能は
“不完全燃焼”となり、
感動や生きる喜びもロクに味わえない。
逆に「不器用人」なら、失敗も多いが、
その分面白く、充実した人生がおくれる。
周りからも、その地道な努力を認められ、
予想外の成果をあげる可能性もある。
自分を飾ったり、無理して器用に生きるよりも、
不器用なら不器用なりに
じっくり生きてみよう。
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這い上がろうとする人に感動したり、
うまくいかなくても、頑張ってる姿に涙できるのは、
今の自分も、「不器用」だから、なんでしょうね!