亡き人を縁として

「門徒の声」ということで、

熊田光男さんの「社員さん宛」メールを転写しています。

(2015/01/14 にいただいたメール)

↓ ↓ ↓ ↓

社員の皆様へ

皆さんも経験があると思いますが、

いつも通ったり、よく見る街の中で、あったはずの建物がなくなったときに、

ここには、「どんな建物がたっていたのかな?」と、思い出せないときがあります。

人間の記憶なんて、こんなものですね。

先週末、商社時代に大変お世話になった先輩の通夜・告別式がありました。

55歳という若さで旅立たれました…

後輩とお酒を飲んだり、カラオケをするのが大好きな方で、

当時は、夜遅くまで残業していると、先輩から

「クマちゃん、ちょっと行こか?」と、お誘いを受けるような、楽しい方でした。

通夜が終わり、お斎(おとき)のとき、先輩を取り巻く20年来の方々が、

お酒の勢いも手伝って、明るい同窓会のような雰囲気になってしまいました。

「お斎」の本来の意味は、「故人を偲ぶ」ことだと思いますが、

先輩の遺影を前にしての“同窓会”には、何となく寂しい思いをしました…

人が消えるというのは、街並みから、建物が消えるのと、ほとんど変わりない、

そう感じました。

自分が消えても、「生きた証」が残せるのか…。

先輩の遺影を見ながら、相田みつをの詩を思い浮かべていました。

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アノネ

ひとのことじゃ

ないんだよ

じぶんの

ことだよ

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『どのように生きるか』

大変なことを、投げかけられた

貴重な日でした。

 

 

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