自分で自分を救える?

(2016/10/18「FB」より転写。知人住職の投稿より)

私の思いや都合は自らを正当化するために仏教すら利用します。お釈迦さまは何でも思い通りにしようとする私を見通された上で教えを説かれました。思い通りにする私に気づかなければ 虚しく人生を終えていくばかりです。

仏法とは「虚しく過ぎない人生をいただく」ことと親鸞聖人はいわれます。しかしそれは「自らを問う」ところからは生まれません。何故かといえば 私からスタートでは「自分の枠」を決して超えられないからです。

 自分で答えを探そうとすれば どうしても自分の嫌な部分だけが目につきます。「自らの欠点を責めなさい」とは仏教は教えません。真実(智慧)のはたらきによって私が明らかになる。それが仏の教えです。

自らを問うてもダメな自分しか見えません。自分を自分で裁いていませんか?ダメな自分も含めてまるごと「私」です。世間の価値観や自分で作り出した世界で泣いている私をまるごと救おう(仏にしよう)とされているのが阿弥陀さまです。

「南無阿弥陀仏」どうぞ自らを問う前に阿弥陀さまの「必ず救う」の喚び声をお聞きください。

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