戦争のできる国

「新聞記事」〈デスクメモ〉より

戦争は、

勝っても

負けても、

誰かが死に

(残されたものは悲しみ)

恨みを抱く。

誰かが一生の傷を負い、

そして恨む。

家屋や財産を奪われた市民も恨む。

「侵略」ではなく、「自衛」でも、それは変わらない。

「戦争できる国」になるため憲法解釈をこねくり回す暇があったら、

「戦争を回避できる国」になれる外交力を磨いてほしい(文)

 

自分は意志が弱い、

状況によっては、私から

何が飛び出すか分からない。

何をしでかすかわからない。

おそろしい。不安である。

だから、意図的に、人為的に

人が、殺し合う空間を作らないでほしい。

「してはならない」とわかっていても

「してしまう」のが「私」だから。

 

殺し合わないで、共存できる世界〈人間関係〉を造ることに

力を注いで欲しい。

だって想像したらわかるでしょう。

自分の子が、孫が、友が

となりの無邪気なあの子どもたちが傷つき、死ぬのです。

また人を殺してしまうのです。

それは間違いです。

それはどこの国であっても同じです。

「想像」力を!!

そこから「創造」力へ。

対話しましょう。

聞き合いましょう

住職

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