ラジオ 【東本願寺の時間】④

 

我々の「意欲」は条件的意欲であって、思い通りに人生が動いている時は、それなりに「意欲」しています。一度、状況が壊れてしまうと意気消沈して落ち込んでいきます。時には「被害者意識」に執りつかれてしまい、周りを、自分を恨んでいくことにもなります。「なぜ、こんなことになったのか」、と自分の呟きに、自分自身が呑み込まれ、出口の無い憂いを抱えることになります。それは、「生きる意味」の喪失であり、「未来」の喪失であります。

この「意欲」という問題を学んでいく時、改めて関心を引くのは、西光万吉さんであります。明治28(1895)年に生まれた西光さんは、産み落とされた場所が徹底的に差別を受ける村でした。いわゆる「被差別部落」です。

12、3歳ごろから学校で直接、差別を受け始め、中学になってその激しさのあまり転校をします。新しい学校でも教師にまで罵倒され差別を受けます。結局、学校を辞め、絵画を学び始め、その後、上京し更に学びを深め、絵画が入選するまでになります。しかし、そこでも差別を受けるのではないかと恐れ、絵の世界からも遠ざかってしまいます。読書にふけりながらも、死ぬことへのあこがれの中で、生きることを慰めていかれます。

そのころの西光さんの心情をあらわした言葉を、親しかった僧侶で新聞記者でもあった三浦大我さんが次のように紹介されています。

「生まれてくるということが一番悪いんです。死こそが最高相の文化です。地上において私どもは果たして何を求め、何を望み得ましょう。一切は欺瞞です。不正です。不義です。」

ということであったそうです。徹底的な人間不信です、誰も、何も信じられなくなります。その人間不信の根っこは、自己不信ではないでしょうか。自分が、自分を信じられなくなることです。自分が自分を受け止められないということです。

そう呟く以外になかった西光さんが、佐野学という方の論文に出会います。そこから、転機が訪れていきます。その5年後に西光さんが中心になって書いたというパンフレット「よき日のために」の一部分に「運命」という文章があります。

そのなかで「吾々は運命を呟く事は要らない、運命は吾々に努力を惜しませるものではない、成就しなければならない大きな任務をもった今日の如き時代は幸福である」、という西光さんに変わっていきます。まさに「運命」というしかない厳しい現実、「差別」を自分に課せられた、大きな「任務」、課題として向き合い、「今日の如き時代は幸福である」と言います。この「運命」は「努力」をさせていただくチャンスだ、という受け止め方をされます。そして「諦めの運命より闘争の運命を自覚せよ。・・・」といって立ち上がっていきます。

こう言えた根拠はいったいどこにあるのでしょうか。現実に向き合う力、「意欲」がどこから起こってきたのかを考えさせられます。

差別がもたらす悲惨さとは、差別する側の意識に、差別される側が取り込まれていくということです。差別する人の、意識をそのまま肯定して、それを自分の物差し、「考え」として自分を見ていく。すると自分が自分を受け止められないで、差別するということが起こってくるわけです。

生きる意欲が喪失していく根っこを「自分が自分を軽蔑していく」という在り方として、見抜かれたのではないかと思います。それは人間を冒涜し、いのちを安っぽくしているという在り方です。その構造が見えることで、自分を縛っている「思い」から、解放されて生きるということが始まったのではないでしょうか。

具体的に差別の悲しさ、痛さを徹底的に知ることで、いのちのぬくもり、つながりを求め、人間そのものを、「自分自身」を尊敬できる「世の中」の実現をめざすという、新しい「使命」が与えられたのではないでしょうか。この「使命」こそが「意欲」です。

西光さんは、1922年「水平社宣言」という文章を書かれたと言われていますが、そのなかで「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と叫んでおられます。その言葉に込められた深い祈りが聞こえる時、こころが揺さぶられ、奮い立たされます。いのち、魂のさけびに触れることで、「生きる意欲」が呼び起こされてくるのではないでしょうか。

 

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