ある日のお参り(2) いのちの誕生 「初参式」

 

親; おまえのことをどれだけ案じているか

子; 大きなお世話や!俺は自分で考えているから、ほっといてくれ。

親; でもな、そんなことでは、世の中通用しないぞ!

子; うざい!  しつこい。

親; なんだ、その口のきき方は。誰のお陰で大きくなったと思っているんだ!!

子; だれが産んでくれと頼んだ!勝手に産みやがって。

親; ・・・・・・・

子; ・・・・・・・

 

よくある話でしょうか?

私たちは、「まず始めに、自分が単独で、それだけで存在していると思っています」。

だから、その自分を前提に他者を所有し、私有化しています。

 

親子という関係で言えば、親子は同時に成立し、誕生しています。

子が授かって、初めて「親」という名告りをいただく。

「子」は「親」がいなければ、存在自体ありえません。

「親」無きとき、「子」なき、「子」無きとき、「親」なし。

それが存在の道理です。

 

秋晴れの今日、お寺の本堂で、“初参り” 式をしました。

一般的に、赤ちゃんが誕生すると神社へお参りに行かれる方が多いですが、

お寺でもお参りをします。

こんな文章を読み、お参りすることの意味を述べました。

 

表白(ひょうびゃく)

 

本日ここに、○○さん  ○○さん ご夫妻の長女 ○○さんの初参式にあたり、

仏前を荘厳し、ねんごろに経典を読み、仏恩を謝しながら、「今日」の、

いのちの深さに思いを致す。

遠き宿縁によって夫婦は結ばれ、また不思議の因縁によって、子を授かる。

 

「子は、親の言うようには育たず、親のしているように育つ」と、先人は教えています。親がどういう生き方をしていくのか、何を拠り所にし、どういう「物差し」をもって生きていくのか。

念仏の教え、いのちの道理に、深く学ぶ強縁を賜る。

 

「咲いた華、咲かせた根っこに ありがとう。」この、こころを念じつつ。

 

慶ばしいかな、新たに生を、この世に享けし  ○○さん (・・・・年・・月・・日生)

いま、仏前に詣でて、み仏の子(如来の子)の誓いを新たにし、

真実の智慧を蒙らんとす。

希(ねが)わくは、この子 父母の愛、親族のいつくしみのもと、

健やかに、真っ直ぐに、こころ広く 成長し、

「生まれた意義と生きる喜び」を発見しつつ、「人生荘厳」の使命を果たし、

この迷いの世を 念仏申して、生き抜かんことを。

 

「ようこそ。  生まれて来てくれて  ありがとう」。

 

2012年11月3日

西恩寺 住職    釈事諦

敬て白す

 

いのち、賜わりし子よ!

たくさんの「愛」をもらって、

おおきくな~れ!!(合掌)

 

真宗門徒のご縁をいただいている方々は、是非、それぞれのお寺で初参りを

お願いしたいと思います。

ちなみに結婚式もお寺の本堂で行うことができます。

形式化してきたものを、あらたに創造していく、

そんな仏事を展開していきたいと思うこの頃です。

ある先生が「仏前新車購入式」という仏事をされたと知りました。

おもしろいですね。

2012/11/04

 

 

 

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