「浄土へ往生する」

「浄土へ往生する」ということは、

いま、ここで、生きられるようになったということです。
(竹中智秀先生の言葉)DSCF0312

浄土に往生する
という出来事は、
単に死んでしまった、
ということではないようです。

死んで良いとこに行く!
でもないようです。

 

都合がいい⭕

都合が悪い❌

役に立つ⭕
役に立たない!❌

評価される⭕
評価されない❌

すき
きらい

優越感⭕
劣等感❌

などの「物差し」の中で

自分にとって
マイナス価値的
❌な現実にぶつかると
ほんとに
意気消沈してします。

その現実が厳しければ、
厳しいほど、
自己肯定感もさがり、
やけくそになったりもします。

時には、自らを見捨てる
こともあります。

浄土に往生する!
という言葉で
表されている世界は、
その善悪、優劣を越えて、
いま、ここで
生きることが
できると、いうこと。

それは
新しく
自分も他人も観ることが
できる場所
(浄土)をいただいた
ということです。

「往生は、場が変わる」
ということです。

その新しい
世界を知ることで、

そこから歩き出す
ことができる。

浄土(本来)を
知らせれることで、

自分の物差しの
まちがいとか、
ゆがみを知ることで
その「ものさし」を
絶対化できない生き方を
いただく。

それは
いま、ここを
生きるということです。

具体的には

事実に立つ!
ということ。

どんな状況からも
歩み出していける
ということです。

失望を越えて
いま
在ること
から始める、
という生き方です。

厳しい😅

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