「驚き、発見」が意欲の源

DSC00400驚き、発見が気づきとなり、目醒めにまで深められる。
目醒めとは、私の存在の法則性とそれに対する違逆性をハッキリと知ること。私の迷い、歪みを自覚すること。「我に真実なし」と頷くことでしょう。それは、同時に世を穢土〰️(火宅無常の世界)として見いだすこと。
そこに出遇いがもたらされる。

出遇いとは、他者の発見ということです。「私」には、他者がいない!すべて自分が捉えた他者である。自意識内他者である。他者が見えてない、他者不在だから孤独、不安という感覚が生まれてくるのだと思う。それは「本来」に背いているからであると教えられている。自分の関心でしか見てない、聞いてないのである。
見てない‼️

聞いてない‼️

と知らされるとき、

「慚愧」の感覚が、
一瞬、他者を発見する。
慚愧感覚が「生きる力」になるのでしょう。
見えた、聞こえた、知らされた他者から、世界から「生きる力」を与えられるのではないかと。

問題を、課題を与えられるということ。

問われるということです。

#お寺の掲示板

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