亡き母(ひと)を縁として

2008年1月末に母親が脳血栓で倒れ、40日ほどの入院、10ヶ月自宅で療養をしました。その間、お寺の行事の準備、聞法、仕事、介護と目まぐるしい生活が続きました。介護をする生活の中で、自分の心のあり方、態度が問われてきたことです。自分中心の考えしかないこと。介護といっても、本当に母に向き合ってはいない姿が浮き彫りにされたことなど。

こんなこともありました。その日はお寺での聞法会でした。自分の思うように体が動かない母は、周りに人がいないと不便ということで、私に「お寺へ行かないでくれ」、と何度か言いました。母の食事のこと、身の回りの準備をしてから、私は振り切るように、出かけて行きました。「そこまでして、お寺に行かんとならんのか。」という言葉に、 「おまえは、本気で仏法を求めているのか、役目とか、お付き合いで、関わっているのではないか」と、そういう声として、厳しく問われた気がします。それでも、「仏法を聞かずにはいられない何か」が動くのです。自分でもはっきり言えないのですが、「聞きたい」という要求が湧いてくるのです。自分でも不思議ですが・・・。本気で道を求めている人の姿に触れたからでしょうか。  その母も、2008年12月の末に、浄土へ還りました。お寺の本堂で、通夜、葬儀をお願いし、その後の仏事で、その都度、法話を聞きました。

近年、願っていることは、家族の者が、聞法のご縁をもって欲しいということです。母親の死を通して、子どもたちが、仏法を聞く、ご縁ができたことが、なによりうれしいことです。長男は、住職の勧めで、「特伝」に参加しました。本人の気持ちはどうであれ、教えを聞く場に身を運んでくれていることが、有り難いと思っています。

同朋会運動が始まって50年です。私にとっての同朋会運動は、一番身近な妻や、子どもたちを聞法会に誘うことです。共に、聞法することだと思っています。妻も推進員となり、お寺のおときの準備や、聞法会にも一緒に出かけることが増えてきています。最近、家族で仏法談義の時間が持てるということが本当にうれしいことです。

母親の老い、病い、死が、残された家族に大きな仏法のご縁となってきています。

南無阿弥陀仏       総代 桑原 克

桑原 克(総代)

 

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